なごみごはん

偏屈なヲタクのひとりごと

違う。そうじゃない。

滝沢歌舞伎ZEROの京都南座千穐楽公演行ってまいりました。

f:id:nagomi0716:20190301005812j:plain

 

自担不在の自担の舞台、初めての南座、初めての千穐楽公演に初めてのおひとり様で入るってことで朝から若干のプレッシャー。プレッシャーに超弱いわたしは平静さを保つのに精いっぱい。会いたい人は主要キャストに名を連ねない。どこかしら敵地に乗り込むような感覚もあった。おひとり様参戦だったから尚更。申し込み当時はすごく複雑な心境だった。チケット申込みはタキツバFCからは不可能でジャニーズジュニア情報局に入会しないとできない事態。滝沢さんの舞台なのに何故滝沢名義で申込みができないのか。当時多くの滝沢ファンは困惑した。それでも申込み締切日は迫ってくる。どうしよう、ファンでもないのに情報局に入会する?ひとり自問自答を繰り返し、いろんないきさつがある中で滝沢さんが「(ファンの悲しみを知りつつ)それでも完全に裏方に回って、どうしてもやりたいことがある!」と言いきったものを「わかったよそんなに言うなら見せてもらおうじゃないか!」と、こちらも頑固に意地を張り返して情報局に入会し、どこかもう投げやりでイチかバチかで申し込んだ千穐楽公演に、思いがけず第一希望で当選。結局、当日までずっと複雑な気持ちのままだった。

 

以下も率直に感想を書いてみる。
ネタバレ嫌な方、新橋公演観劇を控える方にはお勧めしない内容を含みますので、どうか自己責任で読み進めてください。

 

f:id:nagomi0716:20190301005857j:image

まず、最初に声高に叫んでおきたいのは、主演の「SNOW MAN」すごくすごく頑張ってたということ。正門くんを始めとするjr.くんたちも然り。腹筋太鼓の時、キャスト全員の上腕二頭筋がすごかった!どんだけ仕上げてきたん!?と思うほどだった。そして安定のふっか(すのまん深澤くん)のお丸ちゃん。金ちゃんに銀ちゃんもおもしろくて笑った。そうだ、さっくん(すのまん佐久間くん)の女形が美し過ぎて見惚れた。阿部ちゃんもキレイんだけど、なんて言うかしなやかさが美し過ぎる。さっくんのダンスファンは多いと思うが、わたしももれなくその一人。身体の使い方が美しいいつでも。踊るために生まれてきた子なんだろうなと思いながら視線が釘付け。翼くんもさっくんには一目置いてたもんね。そして今回の「春の踊りは~!」以降常にドセンターをはるひかるくん(すのまん岩本くん)の頑張りは自分との闘いだっだだろうなと思わされた。それにしてもわたしお丸ちゃんが大好きだ。2012年の滝サマLOVE魂で見せたブサイク女子高生キャラからずっと好きだ。お丸ちゃんがいる安心感。全体的にキャストみなさまの熱量がすごかった。気づけば見てるわたしが手に汗を握ってた。俺たちが継承したんだ!という並々ならぬ想いがヒシヒシと伝わってきた。これデビューしてない人たちの舞台だよね?と何度も思い返していた。さすがSNOW MAN素晴らしい舞台でした。お世辞抜きで。

 

しかし、

 

ここからも正直な気持ちを書く。(引き返すなら今ですよ!)

 

f:id:nagomi0716:20190301005928j:image

 

滝沢さんが出ないなら「滝沢」という看板外せばよかったのにと心から思う。いくらZEROでも「滝沢」が入ると滝沢色に期待してしまう。確かに、滝沢さんらしい光の演出やバックの映像、ド派手な音響効果は見事で、まさに滝沢P演出による真骨頂の舞台だった。オープニングからどっさり降る大量の花びらは圧巻。足下に積もる花びらをすくって舞い踊るさまはまさに滝沢演出による″JAPONICA STYLE″。だけど「滝沢歌舞伎」と銘打つのに「滝沢」が雰囲気だけしかない舞台は完全に「足りない」と思ってしまう。中心が足りないというかメインが無いというか、つまり軸がどこにあるのか掴めなかった。これはスノマンや他jr達がどうではなく、たとえば「ホットドッグ」というのにソーセージが入ってないやん!!!という感覚。それなら別に「こだわり素材の超美味パン」という名前に変えたらいいねん。それならすごく美味しく楽しめたと思う。「滝沢の出ない滝沢歌舞伎」は無理があったとわたしは思う。「ジャニーズ歌舞伎」で良かった。なんなら「SNOW MAN歌舞伎」でもよかった。

また総じて、完全に「見せられた」舞台だった。「魅せられた」といっても過言ではない。腹筋太鼓は時間が長い!長いって!確かに、若さ溢れる躍動感のある演出だとは思う、けど、いや違うねんそうじゃなくて。苦しそうなイケメンの表情に萌える癖がわたしにはない。繰り返すがみなさんの上腕二頭筋の仕上がり具合は素晴らしかった(ここは萌)。単純にすごいなー!若いってすばらしーな!とは思ったよ。だけど、だけどね。違うねん、何がって

全てが″受け身″の舞台だった。過去DVDを勉強しても昨年の御園座公演にしても「滝沢歌舞伎」は、ただ魅せられるだけのものじゃなかった。キャストはもちろんスタッフとの一体感、さらには観客席の緊張感も、ひいては観客の呼吸すら、すべてが一体となって「滝沢歌舞伎」を作り上げていた。「みんなで作り上げる舞台」という空気感がとても感じられて、わたしはそれがとても心地よく大好きだった。

 その最たるものが最後の演目「WITH LOVE」にあった。WITH LOVEは演者全員が手話を手ぶりとして歌う。その時は客席も一体となって手ぶりする。わたしも過去たった一度の観劇に向けて、過去DVDを見て手ぶり(手話単語?)を覚えた。その時のキャストスタッフ観客席の一体感が何より最高に好きだった。だけど今年の客席はそれがなかった。WITH LOVEが始まっても双眼鏡で自担の雄姿を追うオーディエンス。しかたがないのはわかってる。わかってるんやけど。

滝担にとって、わたしにとって、自担引退後の「WITH LOVE」は特別な楽曲となった。会えなくなった大好きな自担と唯一心を繋いでくれる楽曲。それをいくら継承したからといっても、今はまだ後輩の声で聴きたくなかった。「やめて、違うから、やめて」と心の中で声で叫び堪えきれなくなって涙が溢れた。WITH LOVEは滝沢さんの大切な楽曲。それを継承する後輩に託す想いもわからないではない。だけど今はね、滝担のわたしには苦しかった。なんでこんなに苦しくなるの?と自分に問いかけて、そうか!つまりそういうことか!と、その瞬間に悟ったことがあった。

なぜ「滝沢歌舞伎」なのに「滝沢名義」で申込みができなかったのか。この舞台は「滝沢さんの舞台」では無くなったからだと認識した。確実にSNOW MAN主演の舞台であって「滝沢歌舞伎」とは名ばかりだった。それに気づいた瞬間、自分がそこに居るのは間違いだと思ってしまった。ごめんなさい。勝手なわたしの勘違いで、大切な千穐楽公演の椅子を一つ、本来行くべき人を行けなくしてしまった。わたしは全てを悟ってしまった。滝沢歌舞伎滝沢歌舞伎という名前だったけど滝沢歌舞伎ではなかった。なぜならそれが滝沢さんが完全に裏方に回るという意味だったのだと。

二階席にはラストの夢小判も紙吹雪も何も降ってこなかった。幕が下りて席を立って出口に向かう人の流れに逆らって、わたしは一階席に入り、足下に落ちている文字の入っていない夢小判を拾った。花道近くに立ち、劇場全体の景色を見渡した。ピンク色のキラキラ紙も、キレイなのを選んで拾った。一枚だけピンク色の花びらの形をした紙を拾った。そうしてると劇場の方に「片付けますので速やかに退場…」と声をかけられた。拾ったものをポケットにしまい。わたしはそのまま南座を後にした。悲しかった。とにかく悲しかった。わたしは気づいてしまった。滝沢さんの居ない滝沢歌舞伎にはもう、わたしの席はないんだと。

 

f:id:nagomi0716:20190301020902j:image

一階席の後方でスタッフさんと握手を交わす滝沢さんの目情はあった。でもそれを追いかけて″滝沢社長″を見たいとは思わなかった。声援が送れるわけでもない。だからといって話しかけるわけにもいかない。わたしはどうしていいのかわからなくなった。自分の立ち位置を見失った。

わたしはどうしたって滝沢さんを追いかけてしまう。社長だろうが一般人だろうが、そんなの知ったことじゃない。滝沢さんが関わる全てを応援したいと思う反面、そこにわたしがいていいのだろうかと躊躇する。

しかしこれが現実なんだと思う。会いたい人はいない。「THANK YOU SHOW」で一生滝担は誓った。担降りすることはない。だけど今は迷子。わたしの居場所は、どこにも見当たらない。