なごみごはん

偏屈なヲタクのひとりごと

秋の夜長は夜更かし

夜更かししてつらつらと。「一期一会」という言葉について考えていた。元々は茶道の心得にある言葉だとも言われていて、最終的には「出逢った時が別れの時」という解釈まで流れていく。これはもはや極論で「人は生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっている」に近い。当たり前の明日はなくて、だからこそ今を大切にしたいもの。一秒後にそれが無くなっても後悔しないように、と。だからわたしは先延ばしが嫌いだ。やりたいことは今すぐしておきたい。時間とお金は後から考えて大丈夫なことが多い。会いたい人には遠くても会いに行く。対、人に関することは特に相手の都合もあるから尚更だ。それが不可抗力的な事象でたとえば病気なんかだと本当にツライ。壊せない壁ってある。自分が無力でどうしようもない。

でも無力は無力なりに食い下がる。往生際が悪いと言われてもイエスマンにはもう戻れない。都合のいい女はもう嫌なのよッと昼ドラ風に言ってみる。みっともなくてもかっこ悪くても食い下がって伝わる熱意の欠片に賭けたい。痕跡くらいは残したい。いずれ全てが消えてなくなるならせめて。スマートな大人女子には一生なれそうにないけど、それもまた自分。ただ気が済んだならキッパリ切る。それくらいは心得ている。だからそれまでは思う存分粘着する。想いを心に遺さないために。

思い切り良くいきたい。これはJr時代の滝沢少年が今のわたしに教えてくれたこと。Jrコンサートでもバラエティでも自分が先頭切って飛び出して行く時、その瞬間の表情がものすごくかっこいい。若さかもしれない。年齢重ねて怖さを知っちゃうと躊躇するようになる。でも今のわたしにはその勢いが欲しい。別れや終わりにビビッて守りに入るより思いきりよく散るなら散りたい。当たって砕けるのは得意中の得意。どうせなら木っ端微塵に。と、その前にドラゴンボール集めておかないとな。クリリン並みに生き返ってやる。ああ秋の夜更けは真面目に書くつもりだったのに。ちなみに恋愛系粘着質のお話ではない。そんな年でもねーしな!念のため。