なごみごはん

偏屈なヲタクのひとりごと

セカオワとタキツバから受け取るもの

はい、今日もわたしの自己満足で書き殴ります。責任は持てません。あしからず。
昨日からSEKAI NO OWARIが「動物殺処分ゼロ支援プロジェクト・ブレーメン」の支援ライブをスタートさせた。初日が鳥取県という近場での開催、数少ないMYセカオワ友人が参戦してくれた。

bremen-project.net

ライブはアコースティックで行われるらしくシャッター音が雰囲気を壊すので写真撮影は禁止との通達。通常セカオワのライブでは静止画撮りOKなのです。一人の友人はまさかの3列目神席。2人から大興奮で送られてくるLINEコメントがなぜか文字化けしていて笑った。そもそもアコースティックライブは大好物。DJやドラムの代わりにカホンで刻まれるリズムが好き。今回もDJラブさんが大きな体でカホンに跨って叩く姿を想像した。ああそれだけでごはんがすすむ。塩昆布的な安定の存在感。

友人が送ってくれたレポを読み進めるうちに、今回わたしが参戦しなかった理由が明らかになった。と同時に、セカオワと滝翼に惹かれる共通点を再確認した。そこにはやはり「絆」がある。滝翼の絆は進行形、セカオワの絆は完成形というちょっとした違いがあるのだけど。

セカオワの絆は、おそらく深瀬くんが猛烈に求めたのだと思う。それに乗っかったのがナカジンとさおりちゃん。強制連行されたのがラブさん。そのスタイルも形式も一般的ではなかったりするから万人受けせず叩かれることも多い。しかし本人たちは動じない。固いんだわ、とにかく。危うさも積み重ねれば固くなる。特に深瀬くんとさおりちゃんは定期的に本気でケンカする。それを大きく包みこむナカジンが笑って見てる。ちょっと離れたところでラブさんがゲームしている。絶妙な関わりと距離感。そこに4人の完成された絆がある。外野が入りこむ隙が無い。ナカジンが家庭を持っても、さおりちゃんに赤ちゃんができても、揺るがない絆がある。各々の家庭とは別にセカオワハウスでの共同生活も併行して続けている。それを許容したナカジンの奥さまとさおりちゃんのご主人も素敵だと思う。絆は絆を呼ぶ。人と人を繋ぐ純粋でキレイな愛がそこにある。

わたしが今回のライブに参戦しなかったのは、もう彼らの絆は目で見て確かめなくても充分把握しているからだと思った。それはもう楽曲を聴くだけで感じられる。チャリティーグッズはweb経由で購入済み。深瀬くんも以前のような脆さを感じなくなった。年齢のせいもあるだろうけど繊細さの上に自信が感じられるようになった。振り返って2015年7月の2DAYライブ「Twilight City」のアンコールでのMC、そこからの「Fight Music」に当時どれだけ勇気付けられたか。DVDで見た彼の自信に満ちた表情。ああ泣ける。瞬時に思い出せる。しかしわたしの究極はやはり「銀河街の悪夢」。最後の歌詞で”強くなれ僕の同志よ”と深瀬が真顔で呼びかける。ああダメだ、まだ泣ける。昨日も深瀬くんは時折さおりちゃんに笑顔を向けていたそうだ。それは世間がおもしろがるようなものじゃない。わたしが思う絆そのものの表現だと思う。4人いるって強いね。多過ぎず、少な過ぎず。そして彼らには音楽がある。楽曲を作り上げるところからお互いを常にリスペクトして刺激し合う。一般の人が言う家庭優先とか仕事優先とかもう超越したところにある。比べる物じゃない。比重を問うものじゃない。どちらも100%なんだと思う。

そんなセカオワは来年野外ツアーを予定している。わたしはそれに参戦する。セカオワが表現する絆という安心の中で単純にそれを「楽しみたいから」だ。昨年のホールツアー今年のドームツアーに続いて来年の野外ツアーはもう楽しみでしかない。よく言われる「セカオワ=ファンタジー」なんてとんでもない。それだけに止まらない。わたしに限らずココロにぽっかりと何かが空いてスカスカしたものを抱えている人にはぜひ関わってみて欲しい。

そして、今のわたしはタッキー&翼から目が離せない。活動休止になって、さらにその熱が悪化、えーっと激化?した。単純に目の保養的に山Pとか見てきたけどCDやDVDを買ってまで見たい!と思ったジャニタレは今まで無かった。彼らを追いかけながら今さらながら自分も成長できたらいいなと思う。ああ今日も暑苦しくてごめん。