なごみごはん

偏屈なヲタクのひとりごと

表現のプロと魅せるプロ

他人は好きなことを言うもんだ。匿名性の高いネット上になれば尚更のこと。わたしが推してるSEKAI NO OWARIなんか酷い。気にいらんかったら黙ってスルーでええやん。しかし反発心のおかげでわたしも隠すことをしなくなった。わたしが彼らの楽曲の中で最も衝撃を受けたのは「銀河街の悪夢」だ。

Fukaseの実体験がそこにあるとして、まぁ酷い言われ方だ。しかし同じ経験のあるわたしはいい大人だけど公の方にこんな風に話したり訴えることができなかった。何万人という人の前でマイクを通してそれを歌う彼らに驚愕した。ただ楽しいだけを求める方々からは激しく批判されていたが、わたしは涙が止まらなかった。恐らく批判は覚悟の上だったと思う。それでも必要な方に伝えたかったのだ。彼らはアーティスト。ファンを喜ばせるためだけに歌ってる訳じゃない。それが結局はファンの心を鷲掴みにする。ウケるために作ってるわけじゃない。彼らは「表現のプロ」だ。

実は滝&翼にも同じようなところを感じている。安藤先輩すいません。誤解を恐れず今日もちょっと語りたい。

とにかく会社が大きくて、それが良くも悪くも彼らに影響を与えるのだけれど、滝翼は2人とも子供の頃からすでにエンターテインメントのプロだった。自分を魅せることのあまりの上手さに引く。キャー♡と言うのを忘れて、思わず息を飲むほど放つ輝きに思考停止。天性のものかもしれないが、それをジャニーさんは放置プレイでさらに学ばせる。各々の経験から学ばせるスタイル。手取り足取りではない。なぜなら個性を輝かせる目的において他人の真似じゃダメ。だから教えない。ただ先輩のステージにつかせて機会を与える。その中から光を放ち始める子たちにデビューいう次の機会を与える。基本的には放置プレイ。そうして「魅せるプロ」が育っていく。立ち姿だけで人を魅了するには持って生まれたスタイルの良さや整った顔だけじゃダメ。もっと別の、洗練された、一人一人に違った表現の技法がある。自分の体型なら、この角度が最も見映えする、とか。それを彼らは熟知している。とにかく彼らは自分を魅せるプロ中のプロだ。

もちろんこれは、わたしの超個人的な見方。人それぞれにココロ鷲掴みポイントは違うと思う。しかしいいオバサンのわたしが彼らから目が離せないのはそこにある。生ぬるい毎日を何となく生きてきてしまった自分のこれまでに喝を入れてくれる。思いがけず生ぬるい人生のままではダメな流れがやってきたからさ。おばさんがんばってるわけですよ。師匠の看板に傷をつけられない、毎日溺れそうになってます。

セカオワも滝&翼も、わたしには先生。彼らから見て学ぶことが毎日ある。ステージでの立ち姿、インタヴューでの受け答え。集団の中にいれば常に最後部の隅っこにいたいわたしには足りないところばかりだ。本来人見知りな彼らが堂々とスポットライトの下で輝いているからすごいと思う。ホントにすごいことだと思う。さらに唯一無二の仲間がいる。そこはもう泣けるほど羨ましい。安心してケンカができる仲間の存在って、もう、ねぇ。わたしは一生かけて出会えるだろうか。そんなレベルだもん。まだまだだなぁ自分。

そんな視点で観ている。邪道だと言われるなら謝るしかない。だけどわたしには本当に、ごはんのように、毎日栄養をもらって生きるために必要な人たち。だからずっと活躍してて欲しい。ずっと輝いていて欲しい。そして今日も全力で応援する。わたしはわたしのフィールドでがんばる。うん。今日もがんばれる。